秋田米を全国へ「一乃穂」は秋田米で作った秋田しとぎ菓子をお届けしています

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  No.234(2012年12月1日)

 師走の風がひとしお身にしむ今日この頃、本年も結びの月になってしまいました。皆様、この一年はいかがお過ごしだったでしょうか。秋田市は、本年7月、15年半も空地だった中通一丁目という市街化区域の再開発が3年半の歳月と大震災を乗り越えて完成し、秋田駅前から600mの距離に人の往来が戻ってきました。
 スーパーや飲食店のテナント、安藤忠雄氏設計の新秋田美術館、市民交流館、買い物やイベント広場の効果で100万人以上の来街者を数えました。どこでもそうでしょうが、その土地の魅力や長所は、県外の人が評価して地元の住民が再認識するということが良くあります。当初冷ややかに見ていた県民も徐々に評価するようになって来ました。
 現在、東北の名園と言われる千秋公園にある平野美術館の世界一の壁画、藤田嗣治の「秋田の行事」は、来年9月28日(土曜日)から新秋田県立美術館に移され、花県内外の人氣が得られる事と思います。また、JR東日本の本格的なデスティネーションキャンペーンが始まり、秋田県は観光面でも注目を集めることでしょう。
 人口減、少子高齢化に悩む秋田県ですが、交流人口を増やし、若い人のUターン現象を呼び起こす雇用の場の創出が望まれています。折しも平成5年4月1日創業の「一乃穂」は、来年20周年を迎えます。「しとぎ餅」「しとぎ豆がき」「しとぎ紗舞玲」をひたすらつくり続けやっと「はたち」です。更にサービスに努め、安全で安心な原料を厳選し、秋田米の美味しさを全国に広めていけたらと思っています。
 2013年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
良いお年をお迎え下さい。

 

  No.233(2012年11月1日)

 暮れ行く秋を感じさせる今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。収穫も終わり、100年の伝統ある秋田県種苗交換会が皇太子殿下をお迎えして能代市で開催されました。  一乃穂の商品は、新米を使用し袋を開けると一段とお米の風味が増しています。また、10月よりご縁があり、さいたま県北本市の不二家北本中丸店で「しとぎ豆がき」の販売を始めました。開店以来、秋田県外では積極的に販売しておりませんでした。お近くのお客様のご利用をお願いいたします。
 さて先般、取引先である伊那食品工業株式会社を訪ねて来ました。長野県伊那市にあるこの会社は、坂本光司法政大学教授が上梓した、あさ出版のベストセラー「日本でいちばん大切にしたい会社」という本に採用されています。「社員の幸せのための経営」を貫き、48年間増収増益を続けてきた手本になる会社です。伊那市の本社は、3万坪の赤松林に創設された「かんてんパパガーデン」という複合文化施設があり、見学者や観光客が絶えません。施設内には、ヘルシーな寒天レストランと手入れの行き届いたガーデン等があります。全て社員の方々が管理、ブロッコリー清掃されている姿に感動いたしました。
 その一角には、2009年11月にオープンした野村陽子植物細密画館があります。すでに20万人以上の来館があったそうです。ボタニカルアートと良く言われますが、この通信のカットと同じ画法のようです。野村さんは、実際の植物を 目の前に置きありのままの姿を根氣よく描がかれる細密画家として活躍されておられます。伊那食品の塚越会長の目にとまり、社会貢献事業の一環として細密画館が建設されました。清里在住の野村ご夫妻とお会いし、人間関係の大切さと縁という不思議さを実感し、塚越会長の慧眼にも驚かされました。かんてんパパガーデンの詳細は、ホームページ http://www.kantenpp.co.jp/をご覧下さい。

 

  No.232(2012年10月1日)

 大震災から1年半経った先月上旬、気仙沼と奇跡の一本松がある陸前高田を見て来ました。当店のお菓子を贈っていたものの、被災された方々のご苦労されている姿や現地を見るのは何か後ろめたいものがあり、なかなか決心がつかず、今日に至ってしまいました。高速道路でわずか3時間弱、そこには日常とは余りにもかけ離れた風景がありました。
 「被災地の再生なくして日本の再生なし」と言うフレーズを再三聴いておりますが、一向に復興が進んでいないことは多くの人々を苛立たせています。それでも、復興商店街の人々は明るく、全国から集まったボランティアの人達で混み合っているお昼の光景は、ほほえましく思えました。
 しかし、街の十字路を塞ぐかたちで60mの船体が横たわっている風景にはびっくりさせられました。多くの観光客も驚いておりましたが、現地の人達は、何よりもこの現状が風化していく事に恐れを感じており、少しでも多くの人に被災地を訪れてもらい、「消費してほしい」と言われました。
クリ 各地でガレキ処理の反対運動がある中、遅ればせながら、秋田市でも本格的に処理が始まりました。やがて、寒い冬がやって来ます。仮設住宅で生活している方々のためにも1日も早い復興が望まれますが、被災地を多くの人々が訪れ、いろいろな感慨を持ち、役に立ってほしいと思います。身近にも被災地の支援をしている人がたくさんいます。たとえば由利本荘市を拠点とするバンド、BRONZE(ブロンズ)は、被災地で慰問ライブを続けています。これまで仮設住宅や公園など28ヵ所で演奏し、被災者から「前向きな気持ちになれた」といった反響が寄せられています。今月21日には秋田市文化会館で被災地支援復興ライブを行ないます。被災地支援を行なっている人を支援するのもひとつの支援なのではないでしょうか

  No.231(2012年9月1日)

 日本人は、相手の出身地がどんな処であるかを人口数で判断しようとする傾向があります。しかし、住んでいる町の本当の魅力は人口の多い少ないではなく、文化度や心の豊かさを醸し出す雰囲気ではないでしょうか。それと小さくとも個性豊かで親切な地元専門店の集積や点在が町には必要だと思います。
 郊外が開発され、便利になることにより、中心市街地が空洞化されて行く。このことは全国の地方都市に顕著に見られるようになり、その区域の悩みでもあるようになりました。郊外発展傾向の旗振り役である大型施設は、弱肉強食の経済原理の行き過ぎではないでしょうか。それを良い方向に持って行くのが都市政策でなければならないと思います。
 9月28日秋田市中心街区「エリアなかいち」に全ての施設が完成予定で、すでに完成し営業している商業施設・レストラン街・市民交流館・新県立美術館に分譲・賃貸マンション・特別養護老人ホーム・ティケアセンター等の建物が加わります。新県立美術館は安藤忠雄氏の設計で2階からの水盤を通して千秋公園のお堀と一体になって見えるのが早くも人気を呼んでいます。絵の搬入は、建物のガス抜きが終わる来年9月頃に予定され本格的開館は平成25年10月になります。キウイ現在は絵のない美術館ですが、現状の移転する平野政吉美術館の入場者数を上回っています。秋田駅からの600mは人の行き交うことによって300mの近さに感じるといい、そばにある秋田市民市場も刺激を受け相乗効果が期待されています。商業は、街に活気をもたらす。
 今、人口が増えないなかで交流人口の多さに期待がかかっています。一乃穂の本店前を通る人は、確実に増えつつあると実感出来ますし、年内に100万の来街者が見込まれるということで、この賑わいが永続することを願ってやみません。

  No.230(2012年8月1日)

 残暑お見舞い申し上げます。
本年の梅雨は、各地で記録的な豪雨の被害がありました。特に九州では、これまでに経験したことのない集中豪雨によって多くの被害に遭いました。被災されたみなさまにはつつしんでお見舞い申し上げますと共に、一日も早い復旧を祈念致しております。
 7月の当地は、寒いと思える日もあり、冷夏を恐れていましたが、8月に入り暑い夏が戻り、お米の生育にもひと安心というところです。さて、秋田の夏祭りの代表はなんと言っても竿燈まつりですが、大曲の花火大会も有名です。全国から日本を代表する花火師が秋田に集まる競技大会ですが、今や、全国一とも言われるようにもなりました。今月25日には、80万人近い観客が全国から集まり、一夜を楽しまれることでしょう。
 花火は、夏の風物詩として日本人には欠かすことが出来ません。300年の歴史を持つ国産の線香花火には、花着火から火玉が落ちるまでの「起承転結」があります。そのきれいな変化は、「柳」「牡丹」「松葉」「散り菊」などの相に分かれ、「0.1グラムの芸術」として海外からも高く評価されています。徳川家康が、日本人として初めて花火見物をしてから120年後、八代将軍吉宗は、大飢饉によるコレラの流行で亡くなった多くの人々を慰霊するために、享保18年5月28日に水神祭を隅田川で行いました。同じ日に両国橋界隈の料理屋は、「施餓鬼会」の法要を営み、花火を打ち上げました。それが「隅田川花火大会」の始まりと伝えられています。
 日本の花火には、納涼や娯楽と共に、慰霊と復興を祈る歴史と文化が受け継がれているのです。今年の夏も、東日本大震災による犠牲者への鎮魂と、日本復興への祈りを込めて全国各地で花火大会が催されることでしょう。

  No.229(2012年7月1日)

 暑中お見舞い申し上げます。益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。本年も暑い夏を乗り切っていただきたいと思っています。
 わが国経済は、大震災の影響から、政治の混乱を尻目に緩やかに持ち直しつつありますが、秋田県や当店を取り巻く環境は、一段と厳しさが増しております。震災後、当県の観光需要は東北6県の中でも突出して落ち込み、観光的商品販売の動向に多大な影響を受けました。また、人口減少率及び老齢人口比率増加による社会構造の変化に根差した問題も深刻なる中、秋田市中心市街地中通一丁目地区再開発事業、「なかいち」が16年近くの年月かけてようやく完成しました。15年もの空き地がすべて埋まった訳ですから、活気があり久々に一筋の明るい希望が見えてきたような氣持ちになります。以下概要をお知らせします。
はな 商業施設として駐車場棟の1・2階の一部3,700平方メートル、秋田まちづくり株式会社がテナント27店を運営。キーは地元のサン・マルシェです。駐車場棟は2階〜5階まで550台が自走式立体駐車場で、1時間100円、ゆったりして安全に配慮され電気自動車の充電施設が5台設置されている。市立にぎわい交流館「AU・あう」は駐車場と同様、秋田まちづくり株式会社が指定管理者になり、地下1階、地上4階建、5,200平方メートルは多目的ホール(360名収容)や展示ホール・工房・研修・防音の音楽練習室などが完備され各種サークル活動の場と期待されている。住宅棟は13階建、1階は商業施設、2階〜3階は16戸の賃貸住宅、4階〜9階はケアハウスと特別養護老人ホーム、10階〜13階は分譲マンションと地権者の住宅として整備分譲予定。新秋田県立美術館は3,700平方メートルに平野政吉コレクションを代表する藤田嗣治の「秋田の行事」を展示。人を呼べる美術館を目指す。ガス抜きの関係から来年秋の開館ながら、それまでは展示スペースとして活用される。
 7月21日には交流館がオープンし住宅棟が完成する9月末には秋田市の中心街が一変します。2,710平方メートルの広場は、竿燈まつり始め多くのイベントに使用され再開発はこれからが正念場。県民のニーズと利用者の利便性を絶えず考え、改善を繰り返し成長進化し続ける事を願っています。

  No.228(2012年6月1日)

 いよいよ本格的な夏がやってきます。今年は、冬が例年に無い寒さだったために、夏も例年に無い暑さが予想されます。電力自給の報道も一抹の不安を覚えるものばかりですので、節電、夏バテ対策など今から自分自身で考えておくべきでしょう。
 ところで、わが国は先進国のなかでも自殺者が多く、3万人を超え、交通事故死の3倍にもなります。人口10万人当たりの自殺率が上位の当県では、対策費が少ない中、官民あげて数々の対策を講じ、徐々にその効果を上げています。その一つにうつ病対策があります。うつ病は珍しい病気ではなく、誰でもがなる可能性のある病気です。
 秋田市緑ヶ丘病院の精神科医・後藤時子院長が文芸社から『ひとりでは眠れないあなたへ』という本を上梓されました。一部分を紹介します。「世の中に同じ人間はひとりとしていません。みな生育環境、考え方、感じ方など全て違います。得手不得手はみなそれぞれ全く違うわけですから、本来は一面だけ見て誰かと比較するということはナンセンスです。また、会社で隣に座っている同僚は人生のある時期、たまたま一緒に働いているというだけであって、6月の花長い目で見ればその人と接触するのはほんの僅かな期間です。いろいろ条件面を比較し自分とどこが勝っているかどうかしたところで、特に人生において大きな意味はないのです。
 自分が勝たなければならない相手がいるとしたら、それは自分自身なのです。どんな人とも一生は付き合うということはありませんが、自分自身とだけは一生の付き合いだからです。弱い心ではなく、目標を持って進んで行くためにも自分自身に負けない強さを持つことが必要」と書かれています。
 失ったものを嘆いていても前には進めません。悩みを抱えている自分もより大切にしたいものです。

  No.227(2012年5月1日)

 待ちに待った桜が先月下旬、やっと満開になりました。数年振りに遅い花見になりました。福島では見る人がいない処でも咲き誇っています。桜は正に国花だと思います。
 さて、表千家は、裏千家と同様、茶道流派のひとつです。千利休を祖とする千家の家督を継いだ千家流茶道の本家であり、宗家は京都市上京区小川通寺内通上るにあります。
 表千家を象徴する茶室不審菴(ふしんあん)は、「不審花開今日春」の語に由来しており、一般財団法人・不審庵が管理しています。現在の家元は、千利休から数えて14代目の而妙斎(じみょうさい)千宗左宗匠です。代々の家元は紀州藩主である紀州徳川家(御三家)の茶頭として格式を誇り、紀州徳川家と強いつながりがあった三井家とも縁がありました。本家の表千家に対して分家の裏千家の名は、今日庵が表通りの裏にあることに由来します。第二次世界大戦後は、茶道の発展というよりも、茶道組織として発展した時代であり、経済成長とともに茶道人口が爆発的に増加しました。花真っ先に大衆化を推し進めた裏千家が増加し、茶道人口の大部分を占めました。分家である裏千家・武者小路千家と共に三千家と呼ばれることもあります。
 それぞれの流派には、色々と決め事がありますが、表千家では、6月6日に行事があります。芸事の稽古はじめは、6歳の6月6日にすると言う昔からの習わしに沿っています。この日に、稽古をはじめると上達が早いと言われています。なぜかと言うと、指を使って数を数える時、手の平を開いた状態から指を折って数えていくと、6の数字の時に小指が立つ形になります。小指が立つ、転じて“子が立つ”と縁起をかつぎ、6歳の6月6日になったと言うのも妙に説得力がある氣がします。
 6月3日には秋田市の千秋公園で各流派の合同茶会があります

  No.226(2012年4月1日)

 今月中旬から下旬にかけて、秋田県内は花見の季節になります。桜が一斉に咲き誇り、潔く散り、そして新たなる季節へと繋ぐ姿は、被災地でも明日への希望と活力の源になることでしょう。
 春は、入学、入社、卒業、退職など忙しい時期ですが、大学の9月入学が最近話題となっています。諸外国への配慮からだとしたら、日本の情緒的儀式が変えられるようで残念に思います。4月は、色々な道を志す人にとって大切な節目の月ですが、「道」という字は、なぜ首の字がしんにゅうに乗っているのでしょうか。実は、漢字学第一人者の白川静さんの著書を読んで初めて知りました。古代中国では、道は邪悪な霊が潜む非常に危険な場所と考えられており、異族の首をはねて、それを手に持ちその呪力によって、霊を祓いながら進んで行ったことに由来しています。
花 また、「取」のつくりは「又」で、手の形を表し、「取」は左耳を手で切り取ることを意味しています。戦争の際、討ち取った証拠に敵の左耳を切り取り、耳の数で戦功を数えました。敵の遺体を運んでくる労力が大きく出来なかったからでしょう。この耳を取ることを「聝耳(かくじ)」と言います。また、首を切るのは「馘首(かくしゅ)」です。「最」と「撮」は「取」に関係した漢字で、「最」は戦場で得た聝耳を袋に入れて集め持つ意味です。一番功績のあった者のことを「最」と言いました。「最」の古代文字は「取」に袋を被せたような形をしています。さらに、「撮」には聝耳した耳をつまみ持つという意味があります。
 このように古代からある漢字には、戦争に関することが多いのが特徴です。漢字の起源を知って平和の大切さを改めて痛感しました。

  No.225(2012年3月1日)

3月の花-シャガ 2月1日、秋田県の代表的な温泉地、玉川温泉で雪崩が発生し、岩盤浴をされていた3名の方が亡くなるという事故が起きてしまいました。謹んで、こころよりご冥福をお祈り申し上げます。
 湯治のメッカとして名高い玉川温泉は、口コミやランキングサイトなどでもよくランクインして、日本全国より多くの方が訪れています。「岩盤浴」と言えば、「玉川温泉」、「玉川温泉」と言えば「岩盤浴」と言われるくらいです。
 泉質は、「酸性−含二酸化炭素・鉄(U)・アルミニウム−塩化物泉」で、日本一の強酸性温泉(ph1.2)としても有名です。
 また、玉川温泉では世界でも珍しい鉱物「北投石(ほくとうせき)」が生成されています。
 北投石は1905年に台湾の北投温泉で発見され、ラジウムエマナチオンや微量の放射線を発している大変貴重な鉱物です。大正11年に天然記念物、さらに昭和27年には特別天然記念物に指定され、今は北投石の採掘は、禁止されています。
現在、温泉の宿泊は受け入れていますが、震災や今回の事故の影響で旅行客は減少しています。早期再開を望む声に応えるためにも、万全な安全対策を講じ、岩盤浴再開を目指して頂きたいものです。
  No.224(2012年2月1日)

 東日本大震災から一年になろうとしています。復旧・復興作業や原発事故の対応などに当たっている各方面の方々の懸命な働きには、本当に頭が下がる思いです。
 最近、新聞やテレビでは報道されない色々な出来事を身近な人々から聴くようになりました。
 復旧支援をしていた近畿圏のある消防士は、約一ヶ月の任務を終えて帰宅した直後に、小学校2年生の長男に涙ながら訴えたそうです。「こうして家族が揃っているということは当たり前ではない。とってもありがたいことなんだ。だから一日一日、もっと仲良く暮らそうな!」と。2月の花消防士は、被災した子供たちが父親や母親を探して避難所を訪ね歩く姿に遭遇し、彼らの姿と長男が重なって見えたのでした。
 私たちは、自分を取り巻いている今の環境がいつまでも続くのが当り前と思ってしまう所があります。しかし、当り前ではないという事、そして当たり前のことにもっと感謝をすべきだと言うことをこの事から教えられました。
 また、震災から25日後に岩手県釜石市立釜石小学校の避難所で行われた卒業式での加藤礼子校長先生の式辞は、「私はこの避難所でたくさんの素晴らしい人に出会いました。夜も寝ないで自分のことよりもまず避難している人の為に働く市役所の皆さん、埼玉の中学校の先生、秋田県庁の皆さん……。」と感動的な内容でした。
 秋田県菓子工業組合秋田支部からは、当店の粢菓子を始め10,000個のお菓子が被災地に届けられました。市内にある室蘭ラーメンの店主と秋田県製麺飲食協同組合では、震災直後に4,800食の温かいうどんを提供し、また、地元のプロバンド、ブロンズは慰問演奏を行ない、感動を与えました。他にも、知り合いがボランティアに行って来たと聴くたびに、数多くのやさしさの行動に感謝せざるを得ません。
  No.223(2012年1月1日)

 謹んで新春のごあいさつを申し上げます。当店は、お蔭様で創業19年目になりました。益々、商品の完成度を高め、サービスや応対にいたるまで日々精進してまいる所存でございます。本年もご愛顧のほどよろしくお願いいたします。
 さて、秋田県民なら誰でも親しみを感じている歌があります。それは「秋田県民歌」です。ここで歌詞をご紹介します。

作詞/倉田 政嗣 修正/高野 辰之 作曲/成田 為三
一 秀麗無比なる鳥海山よ 狂瀾吼え立つ男鹿半島よ
  神秘の十和田は田沢と共に 世界に名を得し
  誇の湖水 山水皆これ詩の国秋田

二 廻らす山山霊気をこめて 斧の音響かぬ千古の美林
  地下なる鉱脈無限の宝庫 見渡す広野は
  渺茫霞み 黄金と実りて豊けき秋田

菊☆鳥海山(ちょうかいさん)標高2,236m、東北第二の高さで「出羽富士」の別名があります。
☆「田沢湖」は水深423mの日本一深い湖でかつては国鱒(クニマス)が生存していました。
☆「渺茫霞み」(びょうぼうかすみ)果てしなく遠く霞んで見える様を言います。田園の広さを表現したものでしょうが、さしずめ現代では、大潟村がぴったりです。


 秋田県民歌は、昭和5年(1930年)に県が公募した41点の中から東京芸術大学の元教授で国文学者の高野辰之氏に審査依頼をした結果、秋田県大仙市出身で元小学校教師の倉田政嗣氏の作品が選ばれました。他の応募作品が総て七五調だったのに対し、西条八十が作詞上の技法としている「四四四三」で構成されており、そこに魅力を感じたとも言われています。
 奇しくも作詞者と作曲者は秋大教育文化学部の同期生でした。高野氏は長野県出身で「故郷」「朧月夜」「春の小川」「もみじ」等が代表作として知られ、秋田県出身の成田氏は「浜辺の歌」「赤い鳥小鳥」「カナリア」が有名です。
 秋田県民歌は、山形県民歌「最上川」、長野県民歌「信濃の国」と共に三大県民歌と評されています。




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