秋田米を全国へ「一乃穂」は秋田米で作った秋田しとぎ菓子をお届けしています

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  No.199(2009年12月1日)

 年末の常套句ですが、本年もいよいよ結びの月になりました。皆さまには、どんな年だったでしょうか?我が家では2月に10年間一緒に暮らした愛犬を亡くした悲しい年でした。しかし、いろいろなことがあっても、月日は確実に過ぎて行きます。その時々の感情に浸りながらも自分を見つめ、日々過ごしていくしかないのではないでしょうか。
 さて、お正月の準備が整った大晦日の夜に、縁起をかついで食べるのが「年越しそば」です。始まりは江戸時代とされ、諸説の謂れがあります。たとえば、細く切れやすいので、その年の災厄がきっちり切れますようにという説や長くのびることから、hana家運をのばし寿命をのばすとの説、あるいは、そばは胃腸を整え老廃物を排出させる漢方食なので、体内を浄化して新年を迎えるためという説などです。
 さらに江戸の金銀細工の職人たちは、そば粉を茹でて団子状に練ったもので、作業中に飛び散った金粉や銀粉を集めていました。このことから、そばを食べると翌年は金運が良くなるとも言われます。いずれにして「年越しそば」には、新しい年へのさまざまな希望と期待が込められていると言えます。元旦から仕事と言う方には是非食べていただきたいものです。
 皆さま、どうぞ良いお年をお迎え下さい。こころよりご健勝をお祈り致しております。本通信も明年は、200号からのスタートとなります。
お知らせ 11月21日に一乃穂由利本荘店がオープンし、より便利にお求めやすくなりました。県内主要都市にあります、支店・売店共々ご利用下さい。
  No.198(2009年11月1日)

 いよいよ錦繍の季節になりました。お薦めの紅葉スポットは太平湖と小安峡です。今月中旬には遠くに見える山々の頂に白いものが見えるようになり、早ければ下旬には車のタイヤを冬用に交換です。
 さて、出張料理人として世界のVIPをうならせ、フォション料理部門の統括責任者も経験し、テレビ朝日の「情熱大陸」や朝日新聞、文藝春秋など各メディアにも絶賛された、フランス料理人・狐野扶実子さんをご存知でしょうか。はな「フミコのやわらかな指・料理の生まれる風景」(朝日出版社)という本をご紹介します。
 扶実子さんのお父さんは、「なまはげまつり」で有名な男鹿(おが)半島の出身です。秋田訛りの強い方で、彼女いわく「父は訛りと同じくらい、食べ物も男鹿半島を引きずっていて、カタカナ料理は一切口にせず、山菜の漬物や塩氣の強い煮物が好きで、シンプルで素朴な味を好んでいました。」彼女はそんな父が大好きで、束縛されたくない、自由に生きたいと願う心は、この父に似たからだと言っています。
 大学時代、フランス料理店でアルバイトをした彼女は、父の秋田訛りとフランス語が似ていることに氣づき、卒業旅行でフランスに行きます。やがてその魅力にとりつかれ留学することになります。2年間の留学後、テレビ局勤務の伴侶と結婚、再びフランスに行く機会に恵まれ、そこで、料理に興味を持ち、あの有名なコルドンブルーを首席で卒業します。そして、たまたま友人の家で作った料理が評判になり、やがて出張料理のオーダーが次々に入るようになったそうです。料理は切れる包丁を使うこと、そして空氣と水だと彼女は本の中で話しています。
 お父様の郷里秋田から今後のご活躍をお祈りしております。
  No.197(2009年10月1日)

 先月、弘前で「奇跡のりんご」という本で有名になった木村秋則さんにお会いして1時間ばかりお話を伺って来ました。また、木村さんのりんごを世に知らしめた、『レストラン山崎』で奇跡のりんご料理を堪能しました。特にりんごのスープが絶品でした。
 木村さんは、不可能と言われた無農薬、無肥料でのりんご栽培に10年の歳月をかけて成功しました。こんなエピソードがあります。ある日、脚本家の内館牧子(秋田市出身)さんが訪ねてきて、10年間も実がならないりんごの木にむかって、こう言ったそうです。「あなたいい加減に実を付けなきゃ、来年、切っちゃうよ!」と。すると、どうでしょう。翌年、初めて実をつけたのです。木村さんは、自分の身のまわりでは、常識では考えられない、現代の科学では、証明出来ないことがたくさん起こると言います。
 始めた頃は、農薬も肥料も一切使わないでおいしいりんごを作ろうとする木村さんに回りの人は頭がおかしくなったと心配したそうです。しかし、木村さんは「この世界で人間が出来ること、理解していることなんてほんのわずかに過ぎない」と話します。
 そして、「奇跡のりんご」を実現させた時、花世間で理解されているものほど当てにならないことを知りました。「立派な作物を作るには…」と教えられた常識は、ことごとく外れていました。「大事なことは、目に見えるものや地上に出ているものだけではないんだ」ということに氣がついたそうです。地中には、表に出ている作物の、少なくても2倍以上の長さの根があります。つまり、土の中には、2倍以上の世界があるのです。土の大切さに氣づいて氣を配るようになってからりんごの栽培はぐんぐんと前に進みました。大事なことは、目に見えない部分にあるのです。
 表に出ていない、あなた自身の土壌と根はどうなっているのでしょうか?と問いかけられました。
  No.196(2009年9月1日)

 今年は、梅雨明け宣言が出されないうちに夏が終わってしまいました。水害や地震の被害に遭われた皆様には心より御見舞い申し上げます。
 さて、7月に全国紙の読者の声欄に掲載され、印象に残った文章をご紹介します。
 『アッ!と思った時にはすでに遅く、飛び出した猫を思い切りはねてしまった。恐る恐る車を下りるとアスファルトの上で即死状態。はな罪の重さに目がくらんだ。さらに追い打ちをかけるように、子猫が4匹も出てきて死んだ親猫を取り囲み鳴いている。「うそだろ!」という言葉が力なくこぼれた。放っておくわけにも行かず、親猫の死体と子猫を空き箱に入れて家に持ち帰った。
 庭先に親猫を埋めて小さなお墓を作り、心から冥福を祈った。子猫の方は、とにかく飼ってくれる人を探し回った。すると心ある友人が3人、1匹づつ引きとってくれることになった。そして家族の承諾を得て、残りの1匹との生活が始まった。あれから2年が経過し、小さかった子猫も今ではデブ猫になりつつある。
 親猫の命日、お墓に線香を上げ、手を合わせて目を閉じる。命を奪ってしまったことへの謝罪と子供たちは皆元氣に育っていることを報告する。そんな中、うちの猫はというと、縁側で心地よさそうにお昼寝している。』何とも心あたたまる話ではないでしょうか。今、ペットブームの影で、悪質なブリーダーや心ない飼い主によって、多くのペットが不幸になっている現実があります。小さな命を人間の身勝手さで、消してしまっているなかで、福岡市の柴田さん(31才)の行動に敬意を表したいと思います。
 今月は敬老の日、お彼岸をむかえます。どうぞご自愛ください。
  No.195(2009年8月1日)

 残暑お見舞申し上げます。県内各地で夏祭りが始まり、にぎやかな季節がやってきました。
 さて、秋田にもいろいろな団体やNPO法人が活動しておりますが、今号では、その中の「日本ラジオ歌謡研究会」会長の工藤雄一先生の寄稿を紹介します。
 『2000(平成12)年、私が高校退職記念に行った、「やってみたかったコンサート」のアンコールで、秋田市文化会館1200人の皆さんとオーケストラ伴奏で歌った、NHKラジオ歌謡「山のけむり」の歌声の大きさに、ステージ上の私が、感動。「ラジオ歌謡」を研究しようと、2002年「秋田ラジオ歌謡研究会」を立ち上げた。その後、全国からの入会者も増え、2005年「日本ラジオ歌謡研究会」に名称を変更。本部が秋田市で、東京支部、関西支部ができている。花現在、15都府県60名余の会員がいる。機関誌「ラジオ歌謡研究」を2007年創刊、毎年6月発刊、国立国会図書館、NHK、有名音大図書館、全国すべての県立図書館等に寄贈している。現在、第3号ができ、全国へ発送済みである。2号では、「あざみの歌」の原譜を発見し、3号では作詞者土屋歌情、直筆による「さくら貝の歌」発案現場の文章を発見している。一方、我々研究会の指導で、2004年、秋田市に立ち上がった「秋田ラジオ歌謡を歌う会」の活動は、現在、秋田県内の4つの市に6団体の「歌う会」ができるほど普及し、月一の練習が活発に行われ、秋田県ラジオ歌謡連盟(6団体、参加者約500名)ができ、年一回秋田市での秋の音楽祭は、今年「第3回全国ラジオ歌謡音楽祭」を迎える。今年4月の「第3回東京ラジオ歌謡音楽祭」では、はじめて、子供達が多数出演して、にぎやかさを加えた。きれいな日本語の詩でできた、日本人の美しい心情を、明るく歌った、NHKラジオ歌謡は、60歳代以上の人々の郷愁をさそうばかりでなく、今を、明るく生きるために、とても重要な文化であると、ますます確信しつつある昨今である。』

日本ラジオ歌謡研究会 事務局
〒010-0041 秋田市広面字碇63-2
TEL 018-832-7191 FAX 018-833-9960
E-mail ykudo@rajiokayou.net http://www.rajiokayou.net
  No.194(2009年7月1日)

 最近の中国映画では「レッドクリフ」が有名ですが、「山の郵便配達」という映画をご存じでしょうか?
 1999年の中国アカデミー賞で最優秀作品賞と主演男優賞に輝いた作品です。監督はフォジェンチンで、原作であるボンチェンミン氏の短編を読んだ監督の奥さんが映画化を勧め、彼女が脚本を書いています。
 1980年代初頭、中国湖南省の山岳地帯で郵便配達を長い年月勤めてきた男は、仕事を息子に引き継ぐために、一緒に最初で最後の仕事の旅に出ます。重い郵便袋を背に、愛犬のシェパード「次男坊」と共に険しい山路を辿り、幾つもの村を訪ねて回ります。父は、通いなれた道筋は勿論のこと、集配の手順、そして手紙を運ぶことの責任の重さと仕事への誇りを静かに息子に教えていきます。息子は初めは、寡黙で留守がちな父に対して心の隔たりを感じていましたが、共に歩む「旅」の中で、人々の信頼を集める父の姿に接し、初めて「お父さん」と呼べるようになり、そして徐々に尊敬の念と仕事への責任感を深めていきます。さらに息子は母に対しても、いつも父を支えながら、そばで自分をやさしく包んでくれた偉大さにも氣づくという内容です。
シシリンチウム 中でも、感動的な場面があります。死んだ娘のこどもを悲しみと苦労の中で一生懸命育て、のちに失明してしまった老女はその孫から届く月一通の現金入りの手紙を楽しみにしていました。郵便配達の父は、いつもその手紙を読んであげていました。そして、息子に二枚目を読むようにと言って渡された手紙を見て、息子は驚きます。何と白紙だったのです。息子は、父がそうしたように自分も考えながらその手紙を読むのでした。また、父は息子に「郵便配達はキツイ仕事だが、長くしていれば友人や知識が増える。実にやりがいのある仕事だ!誇りをもってやれよ。」としみじみ語りかける場面も心に残っています。機会があれば、ぜひご覧頂きたいと思います。
  No.193(2009年6月1日)

 紫陽花が雨に映える季節になりました。
 さて、先月の大型連休期間中にタクシーを利用された方も多くいらっしゃることでしょう。その土地を初めて訪れた人の道案内や観光、お土産のアドバイスなど多くの観光客に良い印象を与えるのは、運転手さんの人柄や、やさしさ、氣づき、研究心によるところが多いと思いますが、中には不愉快な思いを経験された方も少なくないでしょう。
 しかし、秋田にはこんなタクシー運転手さんがいます。そのタクシーは、秋田市土崎の厚生連・秋田組合病院でお客様を待っています。56歳で会社をリストラされて、第二の人生にタクシードライバーを選びました。3人のお子さんを育て上げた頃、奥さまに先立たれ、自分ひとりだけ食べていければいいと思ったのでした。そんな彼が、運転手になりたての頃、仲間達と四つ葉のクローバーを探し始めたところ、自分だけが偶然見つけられました。お客様を待っている間、仲間から「きっと今日は良いお客様に恵まれるよ!」と励まされ、その四つ葉のクローバーを手帳に挟んで持っていたそうです。
 そして病院から乗車した若い女性に信号待ちの時に、何氣なく四つ葉のクローバーを差し上げたところ、今までの暗い表情が一瞬のうちに明るくなりました。それ以来、その時のお客様の喜びが心に残り、5年間も休日返上で集め続け、さらにはもっと多くの人にと栽培も始めました。娘さんやお孫さんたちの協力もあり、昨年5月には1万本ものクローバーを渡したことになりました。損得ではなく、お客様の笑顔で自分のこころの満足を得ようとする行為は多くの人々の共感を得ています。すべてこの運転手今井泉さんの人柄と言えるでしょう。ちなみに今井さん自身の四つ葉のクローバーは持っていないそうです。2009年4月ダイヤモンド・グラフィック社より「幸せを運ぶタクシー」という本が発行されました。
  No.192(2009年5月1日)

 4月10日、天皇皇后両陛下はご成婚50周年を迎えられました。誠にうれしく思います。お二人は永い年月、共に国民のため、世界の人々のために尽くしてこられました。相手のお立場を尊重される温かいお氣持ちが、お互いを労うお言葉となって表われていると会見を拝見して深く感じ入りました。また、国体で当県にお成りになった際、近くでお迎えしたことがありますが、周囲が優しい雰囲気に包まれていくのを覚えています。
 海外でのエピソードもあります。1998年、インドのニューデリーで行われた国際児童図書評議会世界大会で皇后様が、英語でご講演されました。ご講演内容はその後、『橋をかける』という本になって大変な反響を呼びました。その中でロシア人作家ソログローブの「身体検査」という悲しい話に触れられています。
 ある少年が、学校で間違って他人の外套のポケットに手を入れて聖書を探しているのを級友に見られてしまいます。後になって、ポケットに入れてあった1ルーブルときれいな真珠貝の柄がついたナイフが紛失しているのがわかりました。少年がポケットに手をいれていたと、級友が証言したため、少年は先生に疑われ、服を脱がされ、屈辱を受けます。ショックで泣いてしまう少年に益々疑う先生たち。ところが、ここで持ち主が実はポケットに穴があいていて長靴の中にお金とナイフが入っていたと報告にきました。
 先生たちは、急に少年に親切にしますが、少年の心は傷ついたままだったという内容です。
 ソログローブは、反体制だったために存在自体を否定されていましたが、皇后さまのお陰でその作品は世界に広く知られるようになりました。
  No.191(2009年4月1日)

 秋田もやっと春らしくなってきました。長かった冬が終わり、一斉に草木が芽ぶき、いよいよ山菜シーズンの到来です。
県章 さて、左記の図案は、誰もが知っている秋田県の「県章」です。「ア」をデザイン化したもので、昭和34年、公募によって決まりました。考案者は、群馬県吾妻郡の潮美鶴(うしお みつる)さんです。全国396人から690点が出品され、郷土の版画家・勝平得之(かつひら とくし)氏、デザイナーの高橋良氏らが選考委員でした。ユキザクラ潮さんの作品は第一次から三次予選までトップで通過しました。
 ところが、問題が起こりました。実は考案者の名前は偽名で、住所も実在するものではありませんでした。審査会では、応募資格が不明確であるとして、失格の場合も考慮して委員投票も行われました。
 結果、アイデア重視で作品本位を選出し、最終選考の7点に残り、委員らの強い支持を受け、入選しました。
 しかし、やはり入賞式の案内は届かず、式には出席されませんでした。
 なぜ、偽名だったのでしょうか?それは、考案者がハンセン病患者で、群馬県の国立療養所に隔離されていたからです。ハンセン病患者ということで、本名を名乗ることも出来ず、本人はもとより家族までもが厳しい差別や偏見の眼にさらされ、故郷から遠く離れた地で一生を終えたそうです。
 ハンセン病に対して国や社会の誤った認識がもたらした悲しい出来事と言えます。
  No.190(2009年3月1日)

 合格発表や卒業など、3月は人生の節目を迎える前の準備の月です。いろいろな事情で厳しいことに直面している方も多いことと思いますが、何とか乗り切って新生活をスタートしていただきたいものと願っております。
 さて、皆さんはペットロスという言葉をご存じでしょうか。ペットロス症候群ともいわれ、ペットを失った時に飼い主が大きな喪失感と無氣力状態に陥ることです。これは、ペットと暮らしている人であれば誰もが経験する可能性があることです。
 愛するペットを亡くした飼い主は、想像以上に深い悲しみと辛さにうちひしがれ、暗たんとした毎日が続くことでしょう。しかし、悲しみはやがてペットと過ごした数々の楽しい思い出に代わり、元の自分に戻って、再び笑える日が訪れます。「時がすべてを解決してくれる」というのは真理であり、幸いなことに人間には本能として悲しみに対処していく力が備わっているのではないでしょうか。
なでしこ 悲しみを抑え込んでいても、決して解決につながりません。逆に悲しい思いが長引いてしまいます。素直に人それぞれ、普通に悲しんで思い切り泣くのが良いのかも知れません。生前に深く愛されたペットは、虹の橋の下で飼い主が来るのを何年も待っていて、いつの日か主人を見つけた時には、すごい勢いで走ってきて抱きつき一緒に虹の橋を渡って行くのだそうです。
 ペットには必ず死が訪れますが、動物と絆を結ぶのはかけがえのないことです。悲しみも人生を深めてくれる素晴しい体験だと認識し辛さを乗り越えてもらいたいものです。
  No.189(2009年2月1日)

 秋田の冬は、立春を過ぎてからが本番です。横手の「かまくら」、男鹿の「なまはげ柴灯(せど)まつり」など観光客を魅了する冬のお祭りは、2月に集中しています。さらに、2月は受験の季節でもあります。多くの受験生が風邪に注意しながら挑むことでしょう。
桃色たんぽぽ 医師国家試験もその一つです。医師不足は、近年大きな社会問題になっており、秋田県内でも病院の閉鎖や診療中止の事態に陥り、地域住民が困っているとの報道が目につくようになってきました。そのため、文部科学省も急遽、大学医学部の入学定員を増やすことになりました。これまでは医師の総数を抑制するのが国の政策でしたから、これは画期的な方針転換であり、それだけ事態の深刻さを物語っていると思います。
 以下は、読売新聞に掲載された中教審会長の山崎正和先生の文章の一部です。医師としての大切な視点を述べています。
 「人間は、純粋科学の対象と違って自ら言葉をもって語りだす存在ということである。患者は医師に症状を訴え、苦痛を共に理解してもらいたい。鷲田大阪大学長が『聴くことの力』でも力説しているように、患者にとって聞いてもらうことはしばしばそれ自体で治療にもなるものです。医学がまだ未発達の時代は、医師に余裕があり、多くの名医はこのことを実行していたのです。だから医師が患者の言葉に耳を傾けるためには、医師に高い言語能力がなければならないのです。人間は敏感な動物ですから、話してわかってもらえる相手にしか話そうとはしません。それだけ現在の医師は大変だと言えます」
 医師の養成には多くの年月がかかることを考えれば、医師の総数を増やすだけではなく、医師・看護師を取り巻くアメニティを充実させることが一層重要となってくることと思います。

  No.188(2009年1月1日)

 新年明けましておめでとうございます。
皆様におかれましては、本年が素晴しい年となるよう祈念致しております。
 さて、大変こころ苦しいのですが、創業以来16年目にして初めて、「しとぎ豆がき」の価格を1月21日より10%程度値上げさせていただくこととなりました。何卒、諸般の事情をご賢察の上、ご了承下さいますようお願い申し上げます。
 今月の花はリンゴですが、当地は青森県や長野県と並んで、平鹿(ひらか)・鹿角(かずの)リンゴが有名です。その平鹿に「十郎リンゴ」という名前のリンゴがあります。60年近く前、佐藤十郎さんが荒れた山を開墾して育てた力強いリンゴです。佐藤さん亡き後、お嫁に行っていた末っ子の渡邉保子さんが美容室経営のかたわら引き継ぎ、現在も続けられています。新潟中越地震の際には、仲間や地元の小中高生に手伝ってもらい、45,000個の十郎リンゴを被災地に届けました。ドキュメント番組『心の絆りんごにありがとう』でそのことを知りました。こんな方が秋田県にもいらっしゃることをご紹介致したく、当時の段ボールに添えられた激励文を掲載いたします。(↓クリックで拡大)
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